大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和61年(ワ)10684号 判決

原告

小林信治

ほか三名

被告

渡部貴久

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用及び参加費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らに対し、それぞれ四五六万三二二五円及び内金四一六万三二二五円に対しては昭和六〇年一〇月二八日から、内金四〇万円に対しては昭和六一年九月五日から、各支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二請求の原因

一  本件事故の発生

1  日時 昭和六〇年九月二日午後八時五五分ころ

2  場所 東京都中野区中央一―一三―八先交差点(以下「本件交差点」という。)

3  加害車両 自動二輪車(練馬す五六〇二、以下「加害車両」という。)

右運転者 被告

4  事故態様 被告が加害車両を運転し、交通整理の行われていない本件交差点を新宿方面から山手通り方面へ向かい時速約四〇キロメートルで進行中、本件交差点の横断歩道付近を青梅街道方面から東中野駅方面に横断中の訴外小林太津治(当時八一歳、以下「訴外太津治」という。)に対し、加害車両を接触させ、訴外太津治を転倒させた。

5  被害状況 訴外太津治は、本件事故により頭蓋骨骨折、頭部挫創、脳挫傷、左鎖骨骨折、左肩甲骨骨折等の傷害を受け、受傷後五五日を経過した昭和六〇年一〇月二七日午前八時三五分ころ、春山外科病院(東京都新宿区百人町一―二四―五)にて死亡したが、同訴外人の死亡は本件事故によるものである。

二  責任原因

被告は、加害車両を所有し、自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法三条の責任を負う。

三  損害

1  訴外太津治

(一) 訴外太津治の慰謝料 七〇万円

訴外太津治は、本件事故により、前記春山外科病院に昭和六〇年九月二日から同年一〇月一二日まで四一日間入院し、更に、同月二五日から再入院し、同月二七日に死亡したが、その間精神的な苦痛等を被つたから、これを慰謝するには七〇万円が相当である。

(二) 原告らの相続

原告らは、訴外太津治の子であり、同人の死亡によつて、各四分の一の相続分をもつて、同人の有する権利を相続した。

2  原告ら

(一) 原告らの支出した治療費等 九五万二九〇〇円

原告らは、本件事故により、治療費八九〇〇円、入院雑費四万四〇〇〇円及び葬儀費用九〇万円の合計九五万二九〇〇円を支出した。

(二) 原告らの慰謝料 一五〇〇万円

原告らは、原告らの父である訴外太津治が本件事故で死亡したことにより、精神的苦痛を被つたから、これを慰謝するには各三七五万円が相当である。

(三) 弁護士費用 一六〇万円

原告らは、本件訴訟を原告ら代理人に委任し、その報酬を支払うことを約したが、右報酬は原告ら各四〇万円の合計一六〇万円を下らない。

四  よつて、原告らは、被告に対し、それぞれ四五六万三二二五円及び内金四一六万三二二五円に対しては訴外太津治の死亡の日の翌日である昭和六〇年一〇月二八日から、内金四〇万円に対しては本訴状送達の日の翌日である昭和六一年九月五日から、各支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三請求の原因に対する認否及び反論

被告

一  請求の原因一項については、本件事故の発生日時、場所、加害車両、右運転者は認め、事故態様のうち、加害車両が時速約四〇キロメートルで進行していた点を除き、認め、被害状況のうち、訴外太津治が傷害を受けた点は認めるが、傷害が頭蓋骨骨折、頭部挫創、脳挫傷、左鎖骨骨折、左肩甲骨骨折等である点及び春山外科病院で死亡した点は不知、同訴外人が本件事故により死亡した点は否認する。

なお、本件事故と同訴外人の死亡との間には因果関係がない。同訴外人は結腸癌、慢性肺結核による左右肺の全面的癒着、左右肺尖部の石灰化に起因して死亡したものである。

二  同二項については認める。

三  同三項については争う。

四  同四項については争う。

補助参加人

一  訴外太津治の死亡は、本件事故による受傷によるものではない。同訴外人は、本件事故以前から、全身的に循環機能低下をともなう動脈硬化が進行しており、肺結核後の肺繊維症と、かなり進行している結腸癌に罹患していたもので、同訴外人の死亡は、本件事故による受傷が原因ではなく右疾病によるものである。

二  仮に、本件事故が同訴外人の死亡に何らかの因果関係があるとすれば、損害賠償の責任は、損害の公平な負担という立場から、本件事故が同訴外人の死亡に寄与したと認められる限度において割合的に認定すべきである。

第四証拠

本件記録中証拠関係目録記載のとおりである。

理由

一  原告らは、訴外太津治の死亡は本件事故により頭蓋骨骨折、頭部挫創、脳挫傷、左鎖骨骨折、左肩甲骨骨折等の傷害を受けたことによるものである旨主張し、被告及び補助参加人は、これを否認し、同訴外人の死亡は他の疾病によるものであり本件事故と因果関係がない旨主張する。

成立に争いのない甲第一号証、甲第一二号証、甲第一三号証によれば、訴外太津治は、明治三七年八月一二日生まれで本件事故当時八一歳であつたものであり、本件事故により頭蓋骨骨折、脳挫傷、頭部挫創、左鎖骨骨折、左肩甲骨骨折、前胸部血腫及び左下腿打撲擦過傷の傷害を受け、その治療のため昭和六〇年九月二日から同年一〇月一二日までの四一日間春山外科病院に入院して、手術加療等を受け、同日経過良好、神経学的欠落徴候なしということで退院し、外来通院することになつたが、同月二五日意識不明となつたため、同病院に再入院し、その二日後の同月二七日に同病院で死亡したことが認められる。

ところで、成立に争いのない甲第一六号証(渡辺博司作成の鑑定書)によれば、訴外太津治は、本件事故による受傷以前に全身性動脈硬化症、肺繊維症、結腸癌の合併病変を持つていたことが認められるから、本件事故による受傷、その治療のための手術等を契機として、身体臓器の生理的環境に変化が起こつたため、八一歳という年齢もあり、抵抗性が減退し、かつ、右合併病変が悪化し、多臓器不全や虚血性心疾患を惹起したことにより死亡したものと考えられなくもない。

鑑定書(甲第一六号証)の「鑑定主文」中には、「本屍の死因は頭蓋骨骨折を伴う頭部外傷(硬膜下血腫など)と器質的病変(全身性動脈硬化症、肺繊維症、結腸癌)の共合したものである。」と、右考えに沿う記載がある。

しかし、同鑑定書(甲第一六号証)の「説明」中には、「本屍の死因は、頭蓋骨骨折を伴う頭部外傷と器質的病変(全身性動脈硬化症、肺繊維症、結腸癌)が相乗的に作用して死亡したという共同死因とみるのがより正確ではないだろうか。なぜならば、頭部外傷という誘因が全身機能に影響を与え、全身性動脈硬化症の進行を早めたり、癌の増悪を早めたりする可能性も考えられなくはなく、全身的機能状態をみる上で頭部外傷を無視するわけにはいかないからである。ただ、あえていえば、器質的な障害の影響の方が死因への要因としては高いといえるだろう。」とされていることからして、本件事故にる受傷が訴外太津治の器質的病変を悪化させたか否かにつき、法的問題として、因果関係が直ちに是認できるか疑問がある。

同鑑定書(甲第一六号証)を作成した鑑定証人渡辺博司は、「「死因の一つ」と言われると本当はちよつと困るので、「説明」のところに「あえて」とちよつと書いたんですけれども、まあ、ともかく死因の誘因にはなつたんじやないかと思つているというぐらいの程度なんで。」、「結論は変わりませんけれども、その前に、一応私のほうの「説明」のところも実は読んでいただきたいということなので、あくまでも、その「説明」の一五ページのところのいちばん最後に「ただ、あえていえば、器質的病変の影響の方が死因への要因としては高いといえるだろう。」ということを。これは鑑定主文には書けませんので「説明」のところに書いてございます。それをちよつと考えていただきたいと申し上げたわけなんですけど。」、「(本件事故との因果関係と、器質的な病変との因果関係と割合的に考えた場合どのように考えるか。)要するに、なんか、パーセントで「何パーセントですか」と聞かれると、私、いつもお答えしないことになつています。つまりパーセントなんかで、はつきりするような問題ではないと思うんです。だから、そうしますと、この場合、あえて申しあげますように器質的病変のほうがかなり高い頻度の問題であつて、たまたま、それに外傷の死の促進因子、早める因子と言いますか、そういう形で影響しているのではないだろうか。でも、それがなかつたときと、あつたときとでは少し違うだろう。だから、それぐらいの程度で考える。ただし、それはやつぱり共合という形で、ひと言でまとめては、なつてしまうということなんです。」、「あえて言うと、ですから、まあ「七、三」ぐらいじやないかなというぐらいの感じです。」、「まあ、それ以下かもしれませんけれでも。ともかく、これは無視はできないだろういう程度には、まあ影響してるんじやないかと思つているわけです。」と述べ、更に、「人間死ぬときには、その所見がないから、それは関係ないんだとは私はとりたくないんです。つまり、死を早めたという誘因としての可能性を考えるとすれば、やつぱり無視できないだろうという形で頭部外傷は考えております。」、「人間というものは機能的に生きているんだということを考えるわけです。そうしますと、機能的に少しでも悪影響を及ぼすものは因果関係があるのではないかと私は考える。」とも述べている。

これに加えて、成立に争いのない戊二号証(乾道夫作成の意見書)によれば、甲第一六号証の鑑定書につき、「死因の説明では、本屍に関する原因として四つ列挙した上、「結論的には頭部外傷という誘因が全身状態に影響を与え、全身性動脈硬化症の進行を早めたり、癌の増悪を早めたりする可能性も考えられなくはなく、全身的機能状態をみる上で頭部外傷を無視するわけにはいかない」といつた意見は推定の域は出ず理論的根拠に乏しい」とし、成立に争いのない戊六号証(乾道夫作成の渡辺博司証人調書についての意見)でも、「死因において機能的側面を導入することを否定するわけではないが、剖検所見による形態的変化および本件事故による損傷の程度および経過、既往症を含めた死亡までの様態を観察する時、これらの共合死因説はあまりにも漠然として根拠がなく推測の域をでないものと思慮される。」しているうえ、鑑定嘱託の結果(平川公義作成の鑑定書)においても、「癌腫の発育が外傷によつて加速され、臨床症状が悪化するかどうかについては、これを証明する資料はない。」、「脳梗塞の存在が外傷による直接の傷害度を強めるかどうかについては、何らの根拠はなく、また逆に外傷が動脈硬化を強化するという推定も成り立たない。ある程度以上の外傷が加われば、脳の循環は障害されるが、本件の場合、外傷後著しく脳循環が障害されたと推定できる臨床経過でもない。」、「冠動脈の硬化については、剖検で確認されたにせよ、外傷前・後を通じて、臨床症状は明らかでなく、外傷直後の検査でも明らかにそれと指摘できる記載はないように見受けられる。もともと頭部外傷と冠動脈硬化との間に直接の関連性があるとは一般的に考えられていない。」、「結核など感染性の疾患は、外傷後、ステロイドの使用によつて悪化することが知られている。本件の場合に、外傷後、結核が悪化したという経過ではなく、急死するほどの臨床結果の変化は何処にも見当たらない。」とされ、更に、「単独の原因では死亡にいたらずとも、幾つかの原因が合わさつて死にいたる場合があると考えられる。鑑定書(甲第一六号証のこと)では一五頁に考察が加えられている。しかし、そこに述べてある「受傷という誘因」が「全身性動脈硬化症の進行を早めたり」、「癌の増悪を早めたりする可能性」については単なる想像の域を出ず、科学的根拠に乏しい。医学常識上は無関係と見なされるべきかと思われるが、これもまた確固たる根拠を欠く。従つて、いくつかの原因が合わさつたとき、どのような変化が予想され、死につながり得るか推定してみることが必要になる。「器質的な障害の影響の方が死因への要因として」は、その何を云わんとするか判然としない。脳の割面に関する記載がないので、脳実質に如何なる損傷がおこつていたのか知る由もない。従つて、一八頁の主文の1の死因について、「頭部外傷と器質的病変の共合したものであると推定する」とするのは、如何に共合するのか具体性を欠き、何を云わんとするのか理解に苦しむ。」とされ、「本件の場合、少なくとも頭部外傷のみにより死亡あるいは重篤な障害を後遺するのが如きものではなく、むしろよく日常生活に復帰し得た程度のものと推測される。手術後、硬膜下血腫は自然治癒するのが普通である。従つて頭部外傷と死亡との間に直接の因果関係はない。」、「器質的病変が交通事故による受傷によつて、直接悪化したとは考え難い。しかし交通事故を契機として身体臓器の生理的環境に変化が起こつたという可能性は否定できない。ただし、これは同じ時期に交通事故がなかつたと仮定した場合に、交通事故以外の他の契機では同様の事態は発生しないという可能性を意味するものではない。」としている。また、同鑑定嘱託の結果では、「(死因は加齢現象による動脈硬化症を主体とした循環機能の衰退によるものか、否か。)最も可能性が高い。ただし、これが循環機能のみの衰退によるとする証明はなく、また身体他臓器のいずれが関与したかとの明確な証明があるわけではない。脳の障害単独では死因となり難いと想定するが故に、他臓器の関与し得る循環機能の衰退を想定するものである。心肺機能が衰えれば、循環機能を介して、同時に脳の機能も衰える。」としている。

したがつて、前記鑑定証人渡辺博司の供述、乾道夫作成の意見書及び渡辺博司証人調書についての意見(戊第二号証及び戊第六号証)並びに鑑定嘱託の結果を総合して判断するに、訴外太津治の死亡が本件事故との間に、法的問題として、因果関係が存在すると認めるには未だ不十分であり、甲第一六号証の鑑定書にあつても、必ずしもこれを是認したとまで評価しえるものではないとするのが相当である。

二  よつて、原告らの請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用及び参加費用の負担については民事訴訟法八九条、九三条、九四条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 原田卓)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例